菊栽培作業が本格化!
4月30日から盆咲の電照を始めた。約10アールの圃場に70個余りのLED電球を取り付け、夜10時から翌朝3時半まで点灯する。近所には申し訳ないが、"きれい"と言ってくれる人もいる。6月中旬まで続け、フル稼働の5月分の電気代は4千円くらい。
今日5月11日に初めての防除をした。薬液80㍑で約1時間の作業で済んだが、この作業、成長に伴って薬量と散布にかかる時間が増えてくる。次回は14日、だいたい10日に2回の間隔で、多種類の薬剤を組み合わせてターゲットの害虫や病害を予防しようと頑張るが、時に病害虫が上手だったりする。
彼岸咲の定植もあと4日後に始まり、約7,500本を植える。残るは10月咲の5千本、あと1か月先のこと。
盆咲の成長が早い品種は、25㎝くらいの丈に育っていて、1週間もすれば整枝作業を始める。ひと株ずつ進めるので時間がかかり、背中と腰が痛くなる。
これに加わるのが稲作と草刈り。稲作は3枚の田んぼで13アール、菊を作ろうと借りたのが内水洪水で使えず、自家用のコメ作りに変えたもの。草刈は、自宅周辺だけでなく地域内の水路法面などを皆で共同で刈る。ほぼ2週間ごとの週末の作業になる。
楽しみは夕食前のビール!
今回は、マニュアルを2つ添付しましょう。
第4章 開花調整の方法.pdf
第5章 整枝の方法.pdf

今日5月11日に初めての防除をした。薬液80㍑で約1時間の作業で済んだが、この作業、成長に伴って薬量と散布にかかる時間が増えてくる。次回は14日、だいたい10日に2回の間隔で、多種類の薬剤を組み合わせてターゲットの害虫や病害を予防しようと頑張るが、時に病害虫が上手だったりする。
彼岸咲の定植もあと4日後に始まり、約7,500本を植える。残るは10月咲の5千本、あと1か月先のこと。
盆咲の成長が早い品種は、25㎝くらいの丈に育っていて、1週間もすれば整枝作業を始める。ひと株ずつ進めるので時間がかかり、背中と腰が痛くなる。
これに加わるのが稲作と草刈り。稲作は3枚の田んぼで13アール、菊を作ろうと借りたのが内水洪水で使えず、自家用のコメ作りに変えたもの。草刈は、自宅周辺だけでなく地域内の水路法面などを皆で共同で刈る。ほぼ2週間ごとの週末の作業になる。
楽しみは夕食前のビール!
今回は、マニュアルを2つ添付しましょう。



ビルマについて
ビルマ(Burma)という国名を聞いたことがありますか。長くイギリスの植民地で日本軍が侵略、戦後しばらくして独立、ビルマ式社会主義という鎖国的な独裁政治が続いた。1988年に軍事政権になって国名をミャンマーに変え、徐々に日本を含む外国の投資が拡大する中で、2011年にオンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)氏の民主政権が誕生、一気に経済発展するかと思われたが、2021年のクーデターで軍事政権化し現在に至る(Wikipedia参照)。そして先月のマンダレー大地震、紆余曲折、踏んだり蹴ったりの国である。
この国に1982年5月から1年間、技術移転のため5人チームの1人として単身滞在した。さらに1993年頃から何度か遊びや調査で数日間訪問した。何人か知人がいるし、彼らの何人かとは日本で会い、数年前には彼らの1人の息子が自宅まで来てくれた。残念なことに、今はクーデターで中断、連絡もしない。
1982年滞在時、調査で2人でマンダレーに飛行機で向かった。席は観光パスポートではなかったので操縦席のすぐ後ろ。ところが出発間際に軍人が2人搭乗してきた。結局、我々は後ろの席に移動させられ、軍人2人がその席に着いた。また、その頃一緒に飲んでいた知人が「Armyは我々を迷わないで撃つ」と云った。
資源もあり皆働き者である。供与した機材を自分たちで修理しながら大切して維持できていた。たくさんの民族の中には、能動的な民族(例えばカレン族)もいれば楽観的というかノンビリした民族もいる。1983年に見た全民族の伝統芸能大会(のような催し)で、彼らの伝統舞踊を見てそう思った。この国に良いことが訪れることを願います。
この写真は、たぶん1997年頃のシュエダゴンパゴダ(ビルマ最大のパゴダ)の回廊部分の風景(知人は写っていない)
この国に1982年5月から1年間、技術移転のため5人チームの1人として単身滞在した。さらに1993年頃から何度か遊びや調査で数日間訪問した。何人か知人がいるし、彼らの何人かとは日本で会い、数年前には彼らの1人の息子が自宅まで来てくれた。残念なことに、今はクーデターで中断、連絡もしない。
1982年滞在時、調査で2人でマンダレーに飛行機で向かった。席は観光パスポートではなかったので操縦席のすぐ後ろ。ところが出発間際に軍人が2人搭乗してきた。結局、我々は後ろの席に移動させられ、軍人2人がその席に着いた。また、その頃一緒に飲んでいた知人が「Armyは我々を迷わないで撃つ」と云った。
資源もあり皆働き者である。供与した機材を自分たちで修理しながら大切して維持できていた。たくさんの民族の中には、能動的な民族(例えばカレン族)もいれば楽観的というかノンビリした民族もいる。1983年に見た全民族の伝統芸能大会(のような催し)で、彼らの伝統舞踊を見てそう思った。この国に良いことが訪れることを願います。

ほ場の準備
ほ場の高低測定
1か月ぶりのブログ更新です。この間は主に確定申告(青申)作業をしていた。市販の農業青申ソフトを使っていて、領収書類など1年分の入出金を入力し、財務諸表を作ってe-Taxで確定申告します。青申すると65万円の所得控除があり納税額を減らすことができるので、作業は大変ですが農閑期でもあり続けています。
さて、今日はほ場の高低を測定する方法を紹介します。
写真遠方に赤と白の板が支柱に取付けてあり、そばに見えるビニルチューブ水準器で水平にしてあります。4枚を同じ高さに取付けられないので、2組は10㎝の高低差で取り付けてあります。
写真手前に巻尺付き測定尺があります。巻尺は下が数値が大きくなるよう取り付けています。
ほ場を5m目に区切って、交点に測定尺を立て、赤と白の板の上端が重なる位置で巻尺の目盛りを読み記録していきます。それを繰り返してほ場の交点を全部測定します。それをExcelに入力して等高線グラフを描けば、ほ場の高いところ、低いところが分かります。
これを何に使うか?
畑作で作業機を使ってウネ立てすると、端が高く中央が低い溝ができます。中央に水が溜まると根腐れを起こしやすくなり、発育も良くありません。それを解消するため、高低を調べトラクターにローダーを付けて均します。実際のやり方は、もう少し煩雑かも知れませんが、オートレベルを使わず1人で出来るのが良いところです。ただ、精度は低く、10アールが限界だと思います。

さて、今日はほ場の高低を測定する方法を紹介します。
写真遠方に赤と白の板が支柱に取付けてあり、そばに見えるビニルチューブ水準器で水平にしてあります。4枚を同じ高さに取付けられないので、2組は10㎝の高低差で取り付けてあります。
写真手前に巻尺付き測定尺があります。巻尺は下が数値が大きくなるよう取り付けています。
ほ場を5m目に区切って、交点に測定尺を立て、赤と白の板の上端が重なる位置で巻尺の目盛りを読み記録していきます。それを繰り返してほ場の交点を全部測定します。それをExcelに入力して等高線グラフを描けば、ほ場の高いところ、低いところが分かります。
これを何に使うか?
畑作で作業機を使ってウネ立てすると、端が高く中央が低い溝ができます。中央に水が溜まると根腐れを起こしやすくなり、発育も良くありません。それを解消するため、高低を調べトラクターにローダーを付けて均します。実際のやり方は、もう少し煩雑かも知れませんが、オートレベルを使わず1人で出来るのが良いところです。ただ、精度は低く、10アールが限界だと思います。

日本語スピコン
長い寒波が続いたので、小菊の作業が無くなった。ハウス内の親株に白サビ病が入っていないか、今のところ感染なし。水平な畝を作るため圃場の平らさを測りたいが、土が湿っていてできない。確定申告(青色申告)で必要なレシート類のデータ入力は、手につかない。
そんな中、この日曜日に知人の誘いで日本語スピーチコンテストに行った。15人の外国人(留学生や実習生)が5分以内で話して、分かりやすさや内容などを審査して表彰する仕組み。主催は市の国際交流協会、後援が市や教育委員会に新聞社。会場は100人弱が詰めかけ熱気があった。感心したのは、大きな環境変化の中で暮らす発表者の話の内容がとても「前向きな人生」だったこと。”やばい”でごまかす我々と少し違うような気がした。
今回はマニュアル第3章「圃場準備と定植」をアップします。
第3章 ほ場準備と定植.pdf

そんな中、この日曜日に知人の誘いで日本語スピーチコンテストに行った。15人の外国人(留学生や実習生)が5分以内で話して、分かりやすさや内容などを審査して表彰する仕組み。主催は市の国際交流協会、後援が市や教育委員会に新聞社。会場は100人弱が詰めかけ熱気があった。感心したのは、大きな環境変化の中で暮らす発表者の話の内容がとても「前向きな人生」だったこと。”やばい”でごまかす我々と少し違うような気がした。
今回はマニュアル第3章「圃場準備と定植」をアップします。


ウェットマーケット
1997年頃の2年間をマレー半島の先端の国に拠点を置いて、東南アジアの国を訪ねて畜産業の調査をし、短い記事を書いていた。着任早々、ホテル住まいと慣れない仕事でストレスがあったのか、パニック発作を起こしたことがある。明け方、息が吸いにくくなってきて、あえぐような呼吸になった。ベッドに座って、病院のあては無く言葉も不安、どうしたものか、しばらく途方に暮れた。幸い次第に収まってきたのでその日も仕事に行ったことを覚えている。その後、同じ発作を起こしたことは無いが、症状からパニック発作だったことは後から知った。まだ、ネット検索機能が弱く、記事も電話回線で送っていたころのことです。
写真は、マレーシアのあるウェットマーケット(野菜、魚、肉を包装せず販売)の1人の売り子さんを、野菜の色の美しさに、真上から写したものです。青い色が売り子さん。

写真は、マレーシアのあるウェットマーケット(野菜、魚、肉を包装せず販売)の1人の売り子さんを、野菜の色の美しさに、真上から写したものです。青い色が売り子さん。
