ビルマについて
ビルマ(Burma)という国名を聞いたことがありますか。長くイギリスの植民地で日本軍が侵略、戦後しばらくして独立、ビルマ式社会主義という鎖国的な独裁政治が続いた。1988年に軍事政権になって国名をミャンマーに変え、徐々に日本を含む外国の投資が拡大する中で、2011年にオンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)氏の民主政権が誕生、一気に経済発展するかと思われたが、2021年のクーデターで軍事政権化し現在に至る(Wikipedia参照)。そして先月のマンダレー大地震、紆余曲折、踏んだり蹴ったりの国である。
この国に1982年5月から1年間、技術移転のため5人チームの1人として単身滞在した。さらに1993年頃から何度か遊びや調査で数日間訪問した。何人か知人がいるし、彼らの何人かとは日本で会い、数年前には彼らの1人の息子が自宅まで来てくれた。残念なことに、今はクーデターで中断、連絡もしない。
1982年滞在時、調査で2人でマンダレーに飛行機で向かった。席は観光パスポートではなかったので操縦席のすぐ後ろ。ところが出発間際に軍人が2人搭乗してきた。結局、我々は後ろの席に移動させられ、軍人2人がその席に着いた。また、その頃一緒に飲んでいた知人が「Armyは我々を迷わないで撃つ」と云った。
資源もあり皆働き者である。供与した機材を自分たちで修理しながら大切して維持できていた。たくさんの民族の中には、能動的な民族(例えばカレン族)もいれば楽観的というかノンビリした民族もいる。1983年に見た全民族の伝統芸能大会(のような催し)で、彼らの伝統舞踊を見てそう思った。この国に良いことが訪れることを願います。
この写真は、たぶん1997年頃のシュエダゴンパゴダ(ビルマ最大のパゴダ)の回廊部分の風景(知人は写っていない)
この国に1982年5月から1年間、技術移転のため5人チームの1人として単身滞在した。さらに1993年頃から何度か遊びや調査で数日間訪問した。何人か知人がいるし、彼らの何人かとは日本で会い、数年前には彼らの1人の息子が自宅まで来てくれた。残念なことに、今はクーデターで中断、連絡もしない。
1982年滞在時、調査で2人でマンダレーに飛行機で向かった。席は観光パスポートではなかったので操縦席のすぐ後ろ。ところが出発間際に軍人が2人搭乗してきた。結局、我々は後ろの席に移動させられ、軍人2人がその席に着いた。また、その頃一緒に飲んでいた知人が「Armyは我々を迷わないで撃つ」と云った。
資源もあり皆働き者である。供与した機材を自分たちで修理しながら大切して維持できていた。たくさんの民族の中には、能動的な民族(例えばカレン族)もいれば楽観的というかノンビリした民族もいる。1983年に見た全民族の伝統芸能大会(のような催し)で、彼らの伝統舞踊を見てそう思った。この国に良いことが訪れることを願います。
